連休中日の午後、お天気が良かったので、多磨霊園まで散歩することにしました。
家から片道7キロくらい。いつもは車で通るなじみの道をてくてくと。
途中に荒川修作+マドリン・ギンズの三鷹天命反転住宅がありました。
カラフルで摩訶不思議な建築物。
「死なないための住宅」とのことですが、荒川修作、この前死んじゃいましたよね…。
彼は死をどのように捉えていたのでしょう。
肉体的な「死」とは異なる次元のことを言っていたのでしょうが、「死なないための」という言葉は、彼がいかに生と死を強く意識していたかを物語っています。
三鷹天命反転住宅 http://www.architectural-body.com/mitaka/
ひたすら歩いて歩いて、多磨霊園に到着したのは3時ちょっと前。
ここには、日本の著名人がたくさん眠っています。
敷地が広大すぎて、一つのお墓を探し当てるのが大変です。
出発前にネットで調べ、お墓の番地のわかるリストを作っておきました。
さあ、どなたからご挨拶していきましょうか。
驚いたことに、彼の師である物理学者、仁科芳雄氏の墓所に共に葬られていました。
多磨霊園で血縁以外の人と一緒の墓所に入るのは例外中の例外とのこと。
ここにはもう一人、外国人のお墓もありました。
死してなお、師とともにありたいと弟子に慕われる仁科芳雄氏とは一体どんな人物だったのでしょうか。非常に興味がわきました。
お次はそこから近くにあった中山晋平氏のお墓。
♪しょ、しょ、証城寺〜で始まる「証城寺の狸囃子」や「シャボン玉」などの童謡を作った作曲家です。
立派な墓石ではありましたが、「中山家の墓」となっているだけで、故人の生前の軌跡を辿れるものはありませんでした。
日本の墓地で残念なのは、墓石が「家」単位であり、亡くなった方の人となりがわかるものが少ないんですよね。
その次は、歌舞伎役者の澤村宗十郎。
私の同級生に澤村家門下の歌舞伎役者がいるので、彼のこともお願いしつつお参りしました。
そして、この日のメインの一人、中島敦さんにご挨拶。
ほとんど無名のまま戦時中に夭逝した彼。
今では自分の作品が教科書にも載っているというのは、お墓の下でご存知でしょうか。
あの端正な文章にまた触れたくなりました。
同じ16区にはこれまたメインの岡本太郎のお墓がありました。
四角く直線的なお墓が立ち並ぶ中でひときわ目立っています。
岡本一平・かの子の両親、そして養女にした敏子と共に眠っています(父親・一平のお墓も太郎作)。
川端康成が岡本家について書いた石碑もありました。
頬杖をついているような墓碑を見ていると、故人と対話しているような気分になります。愉快でとてもいいお墓だと思いました。
夢中で歩きまわっていたらあっという間に日が落ちてきました。
最後にもう一人、ぜひとも会いたい人がいました。
江戸川乱歩��