久留里城址資料館がおもしろいらしい、とあひろ屋さんからの情報。
しめ飾りなどの習俗にかねてから興味を持っていたので、早速出かけてきました。
昔、疫病や自然災害などの災厄は悪霊によってもたらされ、悪霊は集落の外から道を通ってやってくる、と信じられていたそうです。
そのため、村境を遮断し、悪霊が集落に入ってこないためのまじないとして、藁製の「道切り」が作られました。
私の住む鴨川市や近隣の君津市では、この現代においても「道切り」が伝承されています(実際に近所で見かけます)。
しめ縄が、神の領域と現世を分ける結界として飾られるのと同様に、「道切り」も村の内と外を分け、悪霊や疫病を村の中に入れないための結界としての機能があるようです。
「道切り」は、地域によって独特の造形があり、いろいろな種類があります。
わらじや器物をぶら下げる「綱より」
集落に入る道に綱をかける「しめ張り」
等身大(男女一対)の人形を神社や村境にたてる「鹿島様」「人形だんご」
(人形だんごは、団子を人形にのせたり、詰め込んだりして、それを食べると病気にかからないとされています)
藁と杉の葉で作る「雹よけ」など。
中でも面白かったのは「綱より」。
草履や桟俵、徳利などが綱からぶら下がっている藁飾りなのですが、草履や桟俵は、あえて“未完成”のまま下げられています。
それは、悪霊に「こんなものを作る村にはろくなものがいない」と思わせるため。
つまり、細工が下手くそすぎて、悪霊が村に入る気を失くす、というのがその理屈なのですね。
悪霊を力で封じ込めるのではなく、悪霊自身に村を避けさせる、という発想がユニークで日本的な印象を受けました。
その他、厄除けの年中行事は、季節の節目や場所の境目など、時間と空間の境界に関係して行われる、ということも、この展示で初めて知りました。
「境界から厄が来る」という考え方が、たとえば、節分にひいらぎを家に飾ったり、豆まきをするなどの年中行事につながっているのだそうです。
道祖神、賽の神、地蔵なども、境を見守る存在であったのですね。
科学が発達する前、自然災害や疫病と隣合わせに生きてきた時代に、人々は厄除けの祈りを藁に託しました。
そして現代、科学が発達しても、理性とは異なる部分で「祈り」が人の心から消えることはないでしょう。
「道切り」の祈りが今に残る、房総の農村地域。
都会では想像もつかない、貴重な文化。地元だからこそできた、非常に興味深い展示でした。
久留里城址資料館(入場無料)